神社にカメラを向けてはいけない3つの理由

神社探訪の旅に出かけ、たくさんの写真を撮ってSNSなどにアップしようとお考えの方へ。

実は、神社にカメラを向けることは本来NGであるということをご存知でしょうか。

本記事では、神社の神主さんを通じて教えていただいたNGの3つの理由をご紹介いたします。

神社にカメラを向けてはいけない3つの理由

 

1.神様だって人間と同じです

参道 鳥居 笹

神域に踏み入る時の配慮

「突然カメラのレンズを向けられてカシャっと撮られたら嫌ですよね?それは人間も神様も同じなんです」

神主さんは開口一番、こうおっしゃいました。観光地などで物や景色を対象とするときには何の断りもなしに撮ることは多いでしょうが、人の顔が映りこむ時や写真NGかどうかの判断がつかないときには必ず「撮影してもいいですか?」と確認しますよね。確認しないで撮ったあかつきには、運が悪ければ相手から怒られるかもしれません。神様は奥から飛び出しきて怒鳴りはしませんが、神社にも同じことが言えるようです。

神社を単なる景色として捉えるから何の断りもなしにカメラを向けてしまうのであって、本殿の奥に尊い方がおられる、あるいは尊い何かがあると思えばカメラを向ける前にふと止まって考えることがあるでしょう、とのことでした。

 

2.人の目には見えないものがレンズには…

石灯籠 苔 神域

鳥居と本殿をつなぐ石灯篭

「人の目には見えない何かがレンズに映ってしまうこともあるんですよね」

多少心霊現象のような意味合いに受け取られるかもしれません。神社で肝試しをしているわけではありませんし、誰かが葬られているわけでもありません。ご存知の通り鳥居は人間界と神域の境界(結界)、ある種の「門」でもあります。鳥居をくぐれば神社の敷地全体が神聖な場所ですよね。その鳥居の外から本殿を映すということは、他人の家を外から盗撮しているようなものかもしれません。鳥居から先は人間界ではないという認識を持たなければならないようです。

さらに、「人間の目には見えない何か」に対する畏敬(いけい)の念を一人一人の心の中で大事にしなければならないとのことです。「畏」とは訓読みで「おそれる」と読みますよね。人為(人間の行為)の及ばないものとして敬いつつしみの気持ちを持つことであります。神社とは気軽に気楽にカメラを向けるような場ではない、ということのようです。

 

3.尊いものをコピーして良いのでしょうか

灯篭 本殿 細工

本殿脇に置かれる美しい灯籠

「あとは…尊いものをコピーして良いのかという問題ですよね」

神主さんはしばらく腕組みしてお考えになった後、このようにおっしゃいました。写真を撮るという行為は、その場面を切り取って保存すること、いわば場面をフィルムやデジタルなものにコピーする行為であるという認識です。尊いものの複製品を作って良いのですかとも言い換えられます。お参りした時に神様への感謝の気持ちをその場で伝えることができれば複製品はいらないですよね。持ち帰るのはお守りや護符で十分ではないでしょうか。

記録に残したいという気持ちやそれを見返して、その時の気持ちを思い起こしたいという気持ちは大事ではありますが、偶像崇拝に近い感覚なのでしょう。神聖なもの、尊いものはやはりひとつ、本物はひとつですよね。本物はその場に行かない限り見ることができないからこそ本物であり続けるのです。

畏敬 苔 灯篭

畏敬の念を感じる古びた灯篭

最後に…

ここまでの長文をお読みくださいまして、本当にありがとうございます。
本記事では「神社にカメラを向けてはいけない3つの理由」と題し、

  • 神様だって人間と同じです
  • 人の目には見えないものがレンズには…
  • 尊いものをコピーして良いのでしょうか

の3つをご紹介しました。

カメラを向ける前にその手を止めて、今の自分はつつしみの気持ちを持っているのかと自分に問いかけることが必要ではないでしょうか。そして「わたしは〇〇です、今日はお参りをしにきました。ここまで導いてくださってありがとうございます。よろしくお願いします」と心の中で、本殿にいらっしゃる神様に挨拶をした上でお参りをしなければなりませんよね。大きな神社、小さな神社を問わず神様の前に立つ時にはこのように心を「クリーニング」してから鳥居をくぐりたいものです。

以上、
「神社にカメラを向けてはいけない3つの理由」でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。